ポリシープラットフォームセミナー
07.05.2016

【開催報告】第47回PoPセミナー:原子力と放射線のリスク史


日時:2016年7月14日(木)15:00~18:00
会場:東京大学本郷キャンパス経済学研究科学術交流棟(小島ホール)第3セミナー室
言語:日本語
【講演1】菅原 慎悦 氏(電力中央研究所)
「我が国の原子力分野における安全目標の活用-2003年安全目標案の背景とその実際から学ぶ-」
参考)電力中央研究所 研究報告書
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【講演2】樋口 敏広 氏(Georgetown University, Department of History)
「「知の交渉」と放射線防護体制の多元性 : 第二次世界大戦後初期における一般公衆の被曝基準の策定過程」
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参考)樋口 敏広著、同タイトル、『科学史研究』No.275 178-191(2015.10)

【開催報告】
「原子力と放射線のリスク史」と題して、電力中央研究所の菅原慎悦氏から原子力分野における安全目標について、ジョージタウン大学の樋口敏広氏から一般公衆の被曝基準について、それぞれ策定に至る経緯、策定プロセス、そしてその後の運用について、一次資料や当事者へのインタビューをもとに丁寧に探求した研究成果(の一部)を発表していただいた。菅原氏は、最初に原子力安全委員会安全目標専門部会が2003年8月に発表した「安全目標に関する調査市議状況の中間とりまとめ」、次にこれを受けて2006年に策定された性能目標案、さらに福島第一原子力発電所事故後の2013年の原子力規制委員会による「決定」について詳細に解説し、その「意図」と「実際」が乖離したこととその原因を考察した。樋口氏はさらに時間を遡り、1933年に初めて皮膚表面での1日あたりの基準値が設定された1933年を起点として、特に1947~1958年に焦点を当て、グローバルフォールアウトなどの被曝状況の変化に伴い、一般人の被曝基準が数値の引き下げと単位時間の長期がセットで、英国と米国の間の国際交渉を通して変更されていく過程を、貴重な一次資料をもとに調査した結果を報告した。

主催:東京大学科学技術イノベーション政策の科学(STIG)教育・研究ユニット
問い合わせ先:
STIG@pp.u-tokyo.ac.jp